キリトリハリツケ3

 
 
 
 

西区:円頓寺商店街(後編):四間道町並み保存地区

(前編)の続きです。
ここは、円頓寺商店街を東に抜けて堀川に架かる五条橋。
整備し過ぎは名古屋風01

北向き、名古屋城方面を望む。
整備し過ぎは名古屋風02


少し西側へ戻り「名古屋市四間道(しけみち)町並み保存地区」を歩いてみる。
この日は強風で非常に寒く、駆け足で巡った。
整備し過ぎは名古屋風03



名古屋市四間道町並み保存地区
名古屋城の築城が始まった(1610)頃、城下町の建設も同時に進められ、尾張の政治の中心地も清洲から名古屋への移転した(いわゆる清洲越) この地区は清洲越商人の町として生まれ、堀川沿いには水運を利用して、米穀、塩、味噌、酒、薪炭などを城下町へ供給する商家が軒を連ね反映した。四間道は元禄13年の大火の後、尾張藩4代藩主徳川吉通が防火の目的や商業活動のため道幅を4間(約7m)に拡幅したことにより、その名がついたといわれており、四間道をはさんで東側には石垣の上に連続する土蔵、西側には町屋が建ち並ぶ景観は、元文年間(1740年頃)に形成された。

整備し過ぎは名古屋風04

整備し過ぎは名古屋風05

整備し過ぎは名古屋風06

整備し過ぎは名古屋風07

整備し過ぎは名古屋風08

整備し過ぎは名古屋風08-2



浅間(せんげん)神社
「尾張志」によると、正保4年(1647)この地に遷座したとある。
境内に樹齢三百年のクスノキやケヤキが七本あり、市の保存樹に指定されている。
整備し過ぎは名古屋風09

整備し過ぎは名古屋風10

整備し過ぎは名古屋風11

整備し過ぎは名古屋風12
EOS 7D:TAMRON 17-50mm +「PL」
PowerShot S100




観光客を呼び寄せるにはパンチ不足な四間道だが、意外(失礼)と特定の店舗を
探し歩く方も多いようだ。名古屋城周辺に伊勢神宮内宮の「おかげ横丁」を丸パクリ
モデルにして、城下町を再現した観光地を造る計画も進行中と聞く。
見所が少ない名古屋には名古屋城本丸御殿完成と併せ、観光客を呼び寄せる
目玉としては悪くはないが、実現には解消せねばならない問題も山積している。

プロジェクト自体が独自性皆無という点には目を瞑ろう。ただ・・・・
「世界の金シャチ横丁(仮)」というネーミングは正直どうかと思う。
いや、ありえない。あまりに酷い。手羽先で有名な居酒屋じゃあるまいし。
偽りなしの公募で決めた方が良いと思いますよ。河村さん。




撮影地:名古屋市西区那古野
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一眼レフを手にして2017年夏で7年が経過しました。趣味としては一番長く続いています。飽きると全て放り出すので、あまりムキにならず頑張らずマナーを守って楽しんでいきたい。そんな感じの写真ブログです。

 
 
 
 
 
 
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